どっちかといえば松本人志が好きな人。
ザスーラ
TSUTAYAにキッズビデオの棚に置いとけと言いたい。
監督/ジョン・ファヴロー
出演/ジョシュ・ハッチャーソン、ジョナ・ボボ、
ダックス・シェパード
(2005年・米)
いつもケンカばかりしているウォルターとダニーという幼い兄弟がいました。その2人には姉のリサもいるんですが、この姉は弟達をいつも相手にしていません。ある日ダニーは、地下室で「ザスーラ」と書かれた古いボードゲームを見つけます。このゲームはコマを進めるとカードが飛び出し、メッセージに書かれた現象が実際に起こる不思議なゲームです。兄弟がゲームを始めるとなんと家の周りが宇宙空間になってしまって、流星群の襲来、謎の宇宙船からの攻撃、破壊ロボットの追跡など数々の出来事が彼らに起こります。
この映画がくだらないことをまじめにやっている映画だというのは見る前からわかるので、「家が宇宙空間の中にあるのに、何で家の中が地球上と全く同じ状態で、普通に床に立ち、呼吸ができるんだよ!」とか野暮なことを言うつもりはありません。
しかしそれにしてもこの映画は面白くない。こんなに底の浅い映画は珍しいです。原作が絵本なんだから当たり前だろうという意見もあると思いますが、絵本は大人が純粋にストーリーを楽しむためにはあまり見ないですけど、映画は違うでしょう。僕はここまで幼稚なストーリーの映画だとは思わずにTSUTAYAで借りてしまいましたし。こんな映画はキッズビデオの棚に置いとけとTSUTAYAに言いたいですね。
それにただでさえストーリーが面白くないのに、男兄弟の子役2人の演技がダメすぎです。何ですかこいつらは。何か起きたら一応慌てふためいた素振りはしているんですが、下手すぎて全然こっちに危機感が伝わってこず、本当に茶番に見えて白けてきます。神木隆之介とか日本の有名どころの子役の方が全然マシです。この2人は顔もそんなにかわいいとも思えないし、なぜ抜擢されたのかよくわかりません。
こいつら兄弟の絆がこの映画の重要なテーマなんでしょうが、この2人は演技がマズいうえに、設定もごく一般的などこにでもいる仲の悪い兄弟ですし、別にこんな奴らが仲良くなろうがなるまいがどうでもいいやという感じになります。こいつらの親は離婚しているので、親子愛も絡ませるのかと思いきやそうでもないですしね。ティム・ロビンスは最初と最後しか出てきませんし。
映像もダメですね。古臭くて安っぽくて迫力もない。B級映画を愛している映画マニアの人ならこういう映像が逆に良いのかもしれませんが、僕は「パイレーツ・オブ・カリビアン」に満点をつけるベタな映画好きの人なので、普通にショボイ映像にしか見えませんでした。それも舞台は宇宙ですからね。こんなチープな映像を見て「あっ!宇宙だ。」と思う人はいるんでしょうか。
というわけで全然面白くなかったんですが、そんな映画でもいいとこは一つぐらいはあるものです。お姉さん役の女優がキレイだということです。しかし★1個分には達しないぐらいのプラスなのでやっぱりこの映画の評価は★0ですね。
童心に帰れる人ならもしかしたらこの映画を面白いと言うかもしれませんけど、前作の「ジュマンジ」より明らかに対象年齢が下がっているので、自分の年齢をかなり遡らないとこの映画は楽しめません。
<ザスーラ 解説>
1995年に公開され大ヒットした『ジュマンジ』の舞台を宇宙に移して描くSFアドベンチャー。監督は『ウィンブルドン』などに出演を果たした俳優、ジョン・ファブロー。最新のCG映像の中でボード・ゲームをはじめ、現れる宇宙船やロボットのデザインすべてがレトロな雰囲気を漂わせているところに監督のセンスがうかがえる。クライマックスの思わぬドンデン返しに心温まる。
ダニー(ジョナ・ボボ)は兄のウォルター(ジョシュ・ハッチャーソン)にかまってほしいためにボールを投げてふざけていると手もとが狂いボールがウォルターの顔に当たってしまう。怒ったウォルターはダニーを地下室に閉じ込めてしまうが、ダニーはそこで「ザスーラ」というボード・ゲームを見つける。
ジョー・ブラックをよろしく
ベタなラブストーリーですが、意外に面白い。
監督/マーティン・ブレスト
出演/ブラッド・ピット、アンソニー・ホプキンス、クレア・フォーラニ
(1998年・米)
大富豪パリッシュのもとに、ジョー・ブラックと名乗る客が現れます。彼は死期の近いパリッシュを迎えに来た死神でした。しかしジョーは人間社会に興味を持ち、パリッシュの家にしばらく居座ることになりました。そしてその夜、ジョーを交えて家族で食事をしている時に、パリッシュの娘のスーザンが帰って来ます。彼女は食卓にいるジョーを見て驚きました。なぜなら彼は、スーザンがコーヒーショップでひょんなことから出会い、お互いに惹かれ合いながらも別れてしまった男性だったからです。その男性はスーザンと別れた直後に車に轢かれて死んでしまったのですが、死神がその男の体を借りて地上に降りてきたのです。
この映画は3時間という膨大な時間のわりに、内容はよくあるラブストーリーです。パリッシュの娘のどう見ても美女であるスーザンと、あのブラピが演じていてこれまたどう見ても美男子の死神が、恋に落ちるさまを描いたストーリーです。ラストはベタですし、それまでの展開もご都合主義そのものです。この映画の脚本はひねりがないだけでなく、全体的に雑な感じがしますしね。
だから今までの人生で恋に恋焦がれ恋に泣いてきて、もう恋に恋することは絶対にないであろう既婚の30の僕が見たら絶対につまらないはずなんですけど、これが意外に面白かったんです。3時間という時間を長いとちょっとしか思わせない見てて心地良い映画になっています。
この映画では死神のジョー・ブラックが余命わずかのパリッシュのお迎えに来ているので、もちろん最後はふたりで死後の世界に行くことになるのですが、その時にジョーは「去りがたい。」と言うんです。それを聞いたパリッシュの答えがいいんですよ。「それが、生きるということだ。」というセリフです。幸せに生きている人にとっては当たり前のことだし、死神に対するイヤミにも聞こえるんですけど、「パリッシュかっこいいやん。」とちょっと感動してしまいましたね。このパリッシュを演じたアンソニー・ホプキンスもすごくいい感じの演技をするんですよ。もちろんこの人は見たこともあるし、演技が上手なのはすでに知っているんですけど、あらためていい俳優だなと思いました。
死神を演じているのはブラピですが、彼は演技はそんなに上手ではないと思うけども、この映画の死神は彼のルックスだからこそ出来る役だと思いますね。死神ジョー・ブラックは人間界のことをよく知らないので、いつもパリッシュの横でぼーっとつっ立っているのですが、これは僕のようなブサイクな男では絶対に格好がつきません。ただの間の抜けたヤツです。ブラピがやるからこそ、どこか愛らしい感じになるんです。また、ジョー・ブラックは初めてピーナッツバターを口にして、そのあまりの美味しさにスプーンをくわえっぱなしでいるんですが、これこそ僕がやったら本当にヤバいです。ブラピだからこそ可愛らしいし、品も悪くないんです。だから、役に合っているという点で、ブラッド・ピットという俳優もこの映画になくてはならないものだと思います。
スーザンの姉夫婦を演じた2人も、スーザンを演じたクレア・フォーラニ も、なかなか良かったですね。スーザンなんかは考えようによってはただの惚れやすい尻軽女なのに、そう見えないのは、演じたクレア・フォーラニの主張しすぎない抑えた演技のおかげだと思います。映画全体に漂うゴージャスな雰囲気と俳優陣の達者な演技が、この映画を安っぽい昼メロに見えないようにしていると思いますね。この映画の雰囲気作りは徹底しています。死神とスーザンがプールサイドで気分が盛り上がってイチャつきながら相手の服を脱がしはじめたシーンでも、いざセックスする時は場面が変わって2人がいつのまにか豪華なベッドの上にいますからね。
この映画の評価は★8ぐらいです。作品としてのクォリティは★8をつけるほど高くないと思うんですけど、優しい気持ちになることのできる、見て良かったなあと思える映画です。
どうでもいいことですが、もし僕が監督だったら、死神の恋する相手は絶対にスーザンの姉のアリスンにしますけどね。この映画の登場人物の中で僕の一番のお気に入りはアリスンです。彼女は父親に対するわだかまりや可愛い妹に対するコンプレックスを持っているんですが、親孝行はしますし妹をいじめたりもしないですし、けなげにがんばって生きているいい人ですから。それに死神は人間の持つ性欲とか本能とかを超越した存在だろうから、見かけとかじゃないアリスンの人間的な魅力に気づくはずでしょう。アリスンはすでに結婚しているのですが、設定を変えればすむ話ですし。
<ジョー・ブラックをよろしく 解説>
ブラッド・ピットが地上に降り立ち人間の女性との恋に落ちる死神に扮したロマンティックなファンタジー。事故死した青年の姿を借りて、一人の死神がマンハッタンに現れた。ジョー・ブラックと名乗るその人物は大富豪パリッシュの元を訪れる。彼の死期が近いためであった。だがパリッシュが天命を全うするまでにはまだ少しの時間が残されている。死神ことジョー・ブラックはそれまでの短い間を休暇とし、パリッシュの案内で人間界の見学を始めた。しかしパリッシュの娘スーザンはジョーの姿に驚く。彼の姿は先日出会った魅力的な男性その人であったのだ。そしてジョーもスーザンの好意を気にかけるようになっていく……。
ドニー・ダーコ
みんなで議論するのにオススメの映画です。
監督/リチャード・ケリー
出演/ジェイク・ギレンホール、ジェナ・マローン、
メアリー・マクドネル
(2001年・米)
ある真夜中、アメリカ・マサチューセッツ州に家族と住む主人公のドニー・ダーコは、銀色のウサギの声に導かれ、「世界の終わりまで、あと28日と6時間と42分と12秒」と告げられます。翌朝、近所のゴルフ場で目ざめた彼の腕には「28.06.42.12」という文字が書かれていました。その後自宅に帰った彼は、脱落した飛行機のエンジンに押し潰された自分の部屋を見ます。ドニーは数年前に放火事件を起こし、現在も情緒不安定で、精神科医のカウンセリングを受けながら精神安定剤の世話になる日々を過ごしているんですが、その後の彼の生活にはさらに奇妙な出来事が起こり始めます。しかし、その間にも時は刻々と過ぎていき、いよいよ「世界の終わり」の時が訪れようとしていました。
この映画は面白いうんぬん以前に、話がややこしすぎます。こんな難易度の高い映画はかなり前に見てまったく意味不明だった「メメント」という映画以来です。いくら僕が緻密な脚本の複雑なストーリーが好きだといっても、これは難しすぎました。それに脚本が練りに練っていた完成度が高いものとも思えないですしね。僕は内容を理解することを第一に考え、かなり肩に力を入れて見たんですが、どう考えても明確な答えが呈示されていない部分もありましたし。見終わったあとはかなり釈然としない気分でした。
この映画を見た人で、「俺はすべてわかったぞ。この映画のことは何でも聞いてこい。すべて説明してやる。」と言い切れる人はいないと思います。だから、映画好きが数人で見に行って、見た後に居酒屋に行ってみんなでこの映画について議論するのにオススメの映画です。おそらくそれぞれが違う解釈をしていますから、議論は白熱すると思います。僕はひとりで見たし周りにこの映画を見た人もいないのでそんなことはできないですが。
そもそもこの映画は、主人公が死ぬ前に見た夢を描いているのか、パラレルワールドを描いているのかという、という根本的な設定すらかなり悩みました。どっちで考えてもつじつまの合わないところがあるので、本当に分からないです。エンジンが部屋に落ちてきた時間にドニー・ダーコはすでに死んでいるのですが、部屋に落ちてきた地点を起点にして「ドニー・ダーコが死なない」という別のパラレルワールドができて、こっちの世界で生きるドニー・ダーコを描いていると考えた方が、より良さそうなストーリーになるので、無理やりこっちで考えましたけど。
ちなみにこの考え方だと「ドニー・ダーコが死なない」世界は、ドニー・ダーコが死んでいる」世界に収束されて、彼は28日前に戻って死んでいきます。その28日間は主人公はかなりがんばって生きるんですが、結局待っているのは孤独で、主人公が自らパラレルワールドの収束を選ぶという、かなり救いのない話になります。まあしかし切ない青春ドラマとして、これはこれで悪くないんじゃないでしょうか。
しかし、どういう解釈をしても謎は絶対に残るので、ああでもないこうでもないと解釈をこねくりまわすひねくれ者のマニア向きの映画なのは間違いないですね。僕はこの映画についてきついことばっかり言っていますが、決して嫌いではないんですよ。自分も夢の中を彷徨っているような気になる独特の不安定な映像によってすっと映画の世界に入っていけますし、いい雰囲気を持った映画だなあと思います。だからこの監督も才能がないことはないと思うし、次はもうちょっと万人受けする映画を作ってほしいですね。
この映画は評価が難しいです。「わからない」という理由で0点にもできるし、「わからないところが素晴らしい」ということで満点にもできる映画です。実際評価が分かれる映画だと思いますよ。僕はあえて真ん中の★5とします。
ちなみにこの映画の製作総指揮はドリュー・バリモアで、出演もしてるみたいですね。たしかに出てましたが、あまり印象に残りませんでした。主人公を演じたジェイク・ギレンホールは、初めて演技を見ましたがなかなか良かったと思いますよ。ちょっとボンボン臭くて頼りない感じがして、あまりかっこよくはないですが、役には合っていたと思います。
<ドニー・ダーコ 解説>
1988年、アメリカ・マサチューセッツ州ミドルセックス。ある晩、高校生ドニー・ダーコの前に銀色のウサギが現われる。ドニーはウサギに導かれるようにフラフラと家を出ていく。そして、ウサギから世界の終わりを告げられた。あと28日6時間42分12秒。翌朝、ドニーはゴルフ場で目を覚ます。腕には「28.06.42.12」の文字。帰宅してみるとそこには、ジェット機のエンジンが落下していてドニーの部屋を直撃していた。何がなんだか分からないながら九死に一生を得たドニー。その日から彼の周囲では、不可解な出来事が次々と起こり始めた。
ターミネーター
人気シリーズになったのもわかる脚本とキャラクターです。
監督/ジェームズ・キャメロン
出演/アーノルド・シュワルツェネッガー、マイケル・ビーン、
リンダ・ハミルトン
(1984年・米)
未来の地球では、人類vs機械の果てしない闘いが続いていて、ある日機械側は、人類側のリーダーであるジョン・コナーを歴史から抹殺しようと、1984年のロサンゼルスへ冷徹無比の殺人機ターミネーターを送り込み、いずれジョンを産むことになるサラ・コナーという女子大生を殺してしまおうとします。しかし人間側も、彼女を守るために、同じ時代にカイル・リースという一人の戦士を送り込みます。そして、カイルとサラは、ターミネーターと壮絶な戦いを繰り広げます。
こんな超有名な、それもかなり昔に作られた映画を、今さら初めて見ました。僕はいわゆるアクション映画というものはそんなに好きではないです。ストーリーそっちのけで、銃をバンバンぶっ放してビルがドカーンと大爆発するような派手なアクションシーンだけで構成されている映画だという偏見があるからですね。
しかしこの映画はそんなことありませんでした。アクションシーンはあるにはありますが、派手ではありません。全体的に映像は地味で安っぽいです。未来のシーンのチャチさはどうしようもないくらいです。制作年度が古いのもあるんでしょうが、昔の映画でも迫力のある映画はあるし、この映画は予算があまりなかったんでしょう。
逆にストーリーは素晴らしいですね。単純に面白い。設定がかなり非現実的なのに、見ててバカバカしいとはまったく思いません。ツッコむ所が思いつかないぐらい良く練られた脚本ですね。
それに、僕は普段こういう映画は「どうせ最後には主人公は助かるし、ターミネーターはやられるんだろ。」と思いながら冷めた目で見るのですが、ターミネーターは強いししつこいのでむちゃくちゃ怖いし、主人公を助けるべきカイルはすごく頼りないので、最後までまったく安心できない展開ですから、かなりハラハラしますね。
映像がしょぼいし、自分のアクション映画に対する好き嫌いもあるので、僕の評価は★6ぐらいですが、見て誰もが面白いと思うであろう映画なのは間違いないですし、人気シリーズになったのもわかりますね。休日やその前日の夜とかに、しょうもない飲み会に行くぐらいだったら、この映画をひとりで見てるほうがよっぽど楽しいと思います。
まあ、この映画が人気シリーズになったのは、話が面白いのに加えて、「ターミネーター」というキャラクターにかなりのインパクトがあるからでしょう。このキャラを生み出したということだけでジェームズ・キャメロンは勝ちです。むちゃくちゃ怖いし間違いなく悪役ですが、あの有名な音楽が鳴って登場するシーンなんかは鳥肌が立つぐらいかっこいいし、人を引きつけるキャラクターなのは間違いないでしょう。シュワルツェネッガーもこれ以上ないぐらいの適役です。
そのぶん、カイルや主人公の女子大生はキャラがイマイチ立っていませんでしたけどね。シュワルツェネッガーがおいしいとこをみんな持っていっていました。
<ターミネーター 解説>
未来で繰り広げられている人類VS機械の果てしない闘い。機械軍は人類のリーダーであるジョン・コナーを歴史から消すべく1984年のロスへ冷徹無比の殺人機ターミネーターを送り込んだ。目的は、いずれジョンを産むことになるサラ・コナーの抹殺。平凡な女子学生であるサラの前に姿を見せる黒づくめの殺人機。だがその時、彼女を守るために一人の男が現れた。男の名はカイル・リース。ジョン・コナーの命を受け、未来からやって来た戦士であった。
カッコーの巣の上で
巷の評判どおり名作と呼べる映画です。
監督/ミロス・フォアマン
出演/ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、
マイケル・ベリーマン
(1975年・米)
刑務所の強制労働から逃れるため、精神異常を装って主オレゴン州立精神病院に送り込まれたマクマーフィンが主人公です。病院の厳しい管理体勢のもと、破天荒なマクマーフィンはあらゆる問題を引き起こすんですが、彼の影響でだんだんと他の患者達も自分の意志を持ち始めます。
この映画は僕が生まれる前に作られた作品ですから、かなり昔の映画ですね。僕はあまり昔の映画は好きではありません。この映画も映像が古くさいし、演出がイマイチなのか全体的に何となくまったりしていて、昔の映画だなあという空気は確かにあります。しかし、そのマイナスを差し引いたとしても、この映画はいい映画ですね。巷の評判どおり名作と呼べる映画だと思いますよ。
まずタイトルがいいですね。たしかカッコーはモズかなんか他の鳥の巣に卵を産み、その巣の親鳥にヒナを育てさせる鳥だから、そもそも巣なんてないんですけど、間違いなくカッコーの卵が主人公で、モズの親鳥が対立する婦長なんでしょう。ちなみにこの映画の原題は「One flew over the cuckoo's nest」なんですが、「cuckoo」という単語は、鳥のカッコーの他に「頭がおかしい、気が狂った」と言う意味もあります。こっちの意味だとしたら、その「頭がおかしい」というのは患者側か病院側かどちらを表しているのかという問題が出てきます。どちらにしろ、邦題も原題も色々な解釈が可能な、奥が深い良いタイトルです。
内容としては、精神病棟に象徴される管理社会の中での人間の権利、自由、尊厳といった堅苦しいテーマを扱っているんですが、人間の権利、自由、尊厳は大切なものなのに、それを患者達から奪う悪い病院の連中を主人公達がこらしめる、といった薄っぺらい話ではありません。たしかに主人公をはじめとする精神病棟の患者達を婦長を代表とする病院側は完全に統制しようとするし、最後の方では婦長が若い患者を追い込んでしまうんですが、婦長には管理する理由や怒る理由がありますし、こいつが悪者だとはっきりと言い切れない。
主人公のマクマーフィはとんでもないヤツですしね。刑務所での強制労働を逃れるために精神病を装うという、いわばズルして勝手に精神病棟に入ってきたくせに、薬は飲まないし、グループセラピーをやめろと言うし、勝手に他の患者達と船に乗って海に出たりするし、本当にムチャクチャばっかりします。健常者という設定なんですが、どっからどう見ても反社会的人格障害の人間です。この映画ではマクマーフィと婦長の対立が一貫して描かれていますが、どちらかが善でどちらが悪という単純な設定ではないですね。
だから色々考えさせられる映画ですよ。主人公のマクマーフィが終盤で精神病棟を脱出する手はずが整ったのに、どうして急に躊躇し逃げなかったのかも良く分からなかったですしね。
こういう閉ざされた環境で生まれた仲間たちとの連帯感、友情のようなものが彼をそうさせたのか、「社会不適合者」の烙印が押されて厳しい世の中で生きるよりもここにいる方が楽だからと考えたのか、ちょっと酒でいい気分になって後で逃げようと思っていたのに酔って居眠りをして寝過ごしてしまったのか、様々な理由が考えられますが、どれも間違っている気がします。それぐらいここのシーンのマクマーフィの表情は何とも言えない表情でした。
というわけでこの映画は間違いなく名作と呼べる映画なんですが、途中まではお気楽な話なのに、終盤急に重たくなるので、かなり見た後は重たい気分になります。ラストシーンはちょっと希望を感じさせる終わり方ですが、まったく気が晴れないですね。僕は妹が精神病棟で看護師として勤めているので、病棟内で起こっているブラックボックスな話もある程度は知っているし、さすがにこの映画はやりすぎだろうみたいなことも思うんですが、しょせん映画だと割り切れないほどリアリティはあります。
<カッコーの巣の上で 解説>
刑務所の強制労働から逃れるため精神異常を装ってオレゴン州立精神病院に入ったマクマーフィは、そこで行われている管理体制に反発を感じる。彼は絶対権力を誇る婦長ラチェッドと対立しながら、入院患者たちの中に生きる気力を与えていくが……。60年代の精神病院を舞台に、体制の中で抗う男の姿を通して人間の尊厳と社会の不条理を問うK・キージーのベストセラーを、チェコから亡命してきたM・フォアマンが映画化した人間ドラマ。