どっちかといえば松本人志が好きな人。
カッコーの巣の上で
巷の評判どおり名作と呼べる映画です。
監督/ミロス・フォアマン
出演/ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、
マイケル・ベリーマン
(1975年・米)
刑務所の強制労働から逃れるため、精神異常を装って主オレゴン州立精神病院に送り込まれたマクマーフィンが主人公です。病院の厳しい管理体勢のもと、破天荒なマクマーフィンはあらゆる問題を引き起こすんですが、彼の影響でだんだんと他の患者達も自分の意志を持ち始めます。
この映画は僕が生まれる前に作られた作品ですから、かなり昔の映画ですね。僕はあまり昔の映画は好きではありません。この映画も映像が古くさいし、演出がイマイチなのか全体的に何となくまったりしていて、昔の映画だなあという空気は確かにあります。しかし、そのマイナスを差し引いたとしても、この映画はいい映画ですね。巷の評判どおり名作と呼べる映画だと思いますよ。
まずタイトルがいいですね。たしかカッコーはモズかなんか他の鳥の巣に卵を産み、その巣の親鳥にヒナを育てさせる鳥だから、そもそも巣なんてないんですけど、間違いなくカッコーの卵が主人公で、モズの親鳥が対立する婦長なんでしょう。ちなみにこの映画の原題は「One flew over the cuckoo's nest」なんですが、「cuckoo」という単語は、鳥のカッコーの他に「頭がおかしい、気が狂った」と言う意味もあります。こっちの意味だとしたら、その「頭がおかしい」というのは患者側か病院側かどちらを表しているのかという問題が出てきます。どちらにしろ、邦題も原題も色々な解釈が可能な、奥が深い良いタイトルです。
内容としては、精神病棟に象徴される管理社会の中での人間の権利、自由、尊厳といった堅苦しいテーマを扱っているんですが、人間の権利、自由、尊厳は大切なものなのに、それを患者達から奪う悪い病院の連中を主人公達がこらしめる、といった薄っぺらい話ではありません。たしかに主人公をはじめとする精神病棟の患者達を婦長を代表とする病院側は完全に統制しようとするし、最後の方では婦長が若い患者を追い込んでしまうんですが、婦長には管理する理由や怒る理由がありますし、こいつが悪者だとはっきりと言い切れない。
主人公のマクマーフィはとんでもないヤツですしね。刑務所での強制労働を逃れるために精神病を装うという、いわばズルして勝手に精神病棟に入ってきたくせに、薬は飲まないし、グループセラピーをやめろと言うし、勝手に他の患者達と船に乗って海に出たりするし、本当にムチャクチャばっかりします。健常者という設定なんですが、どっからどう見ても反社会的人格障害の人間です。この映画ではマクマーフィと婦長の対立が一貫して描かれていますが、どちらかが善でどちらが悪という単純な設定ではないですね。
だから色々考えさせられる映画ですよ。主人公のマクマーフィが終盤で精神病棟を脱出する手はずが整ったのに、どうして急に躊躇し逃げなかったのかも良く分からなかったですしね。
こういう閉ざされた環境で生まれた仲間たちとの連帯感、友情のようなものが彼をそうさせたのか、「社会不適合者」の烙印が押されて厳しい世の中で生きるよりもここにいる方が楽だからと考えたのか、ちょっと酒でいい気分になって後で逃げようと思っていたのに酔って居眠りをして寝過ごしてしまったのか、様々な理由が考えられますが、どれも間違っている気がします。それぐらいここのシーンのマクマーフィの表情は何とも言えない表情でした。
というわけでこの映画は間違いなく名作と呼べる映画なんですが、途中まではお気楽な話なのに、終盤急に重たくなるので、かなり見た後は重たい気分になります。ラストシーンはちょっと希望を感じさせる終わり方ですが、まったく気が晴れないですね。僕は妹が精神病棟で看護師として勤めているので、病棟内で起こっているブラックボックスな話もある程度は知っているし、さすがにこの映画はやりすぎだろうみたいなことも思うんですが、しょせん映画だと割り切れないほどリアリティはあります。
<カッコーの巣の上で 解説>
刑務所の強制労働から逃れるため精神異常を装ってオレゴン州立精神病院に入ったマクマーフィは、そこで行われている管理体制に反発を感じる。彼は絶対権力を誇る婦長ラチェッドと対立しながら、入院患者たちの中に生きる気力を与えていくが……。60年代の精神病院を舞台に、体制の中で抗う男の姿を通して人間の尊厳と社会の不条理を問うK・キージーのベストセラーを、チェコから亡命してきたM・フォアマンが映画化した人間ドラマ。