どっちかといえば松本人志が好きな人。
メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬
どうしてこんなに面白くないか考えてしまう映画です。
監督/トミー・リー・ジョーンズ
出演/トミー・リー・ジョーンズ、バリー・ペッパー、
ドワイト・ヨアカム
(2005年・米、仏)
ある日、アメリカ・テキサス州のメキシコとの国境近くで、カウボーイのメルキアデス・エストラーダの射殺体が見つかります。しかし彼はメキシコからの不法入国者であったためか、保安官による捜査や埋葬はいいかげんなものです。メルキアデスと無二の親友であった同じくカウボーイの主人公ピートは、「俺が死んだら、メキシコにある自分の故郷ヒメネスに埋めてくれ」とメルキアデスから頼まれていたのを思い出します。彼はその後国境警備隊のマイクという男がメルキアデスを誤って撃ち殺したと知り、彼を拉致、メルキアデスの死体を掘り返させ、マイクと死体と共にメキシコヘ向かいます。
この映画は率直に言って全然面白くありませんでした。しかし2005年のカンヌ国際映画祭で主演男優賞と脚本賞に輝いているぐらいだから素晴らしい作品のはずなんですよ。特に脚本を書いたギジェルモ・アリアガは、僕が大絶賛した「アモーレス・ペロス」の脚本家ですからね。どうしてこんなに面白くないか考えないといけません。
まず、この映画は、「アモーレス・ペロス」みたいに時間軸を交錯させて描いているところが失敗してますね。このやり方がハマれば時系列通りに描くよりも鮮烈な印象をこちらに植えつけるので、最近の映画でけっこうよく見る手法です。しかし、結果論ですが、この映画はじっくり描いた方が良かったですね。時間軸が交錯する映画はそれぞれのシーンがパズルのピースのように断片的になるので、それがある程度組み合わさってくる中盤にならないと状況や人間関係が理解できないんですが、どうもこの映画はそれがマイナスに左右して全体として薄っぺらい感じになり、作品のテーマが心の奥に響いてきませんでした。
例えば主人公のピートなんかは、途中まではただの頭のおかしいオッサンに見えますよ。友人を故郷に埋葬するということにひたむきな彼の姿が、ある意味気高くおごそかに見えるのは、本当に終盤になってからですね。彼がどうしてそこまで亡き友との約束にこだわるかは結局最後まで答えは出ないんですが、時系列通りにピートとメルキアデスが分かり合っていく様子を序盤で丁寧に描いてくれたら、少なくともピートを頭のおかしいオッサンとは思わなかっただろうし、ピートという男についても半分ぐらいは理解できて、彼を描いた骨太の人間ドラマとして楽しめたと思いますよ。
メルキアデスについても、飾り気がない素朴な人間で、いかにもピートが気に入りそうなヤツだなあ、ぐらいしか思っていませんでしたから。彼については時間軸がどうこうというより全編を通して描写が浅かったですからね。ラストで初めてメルキアデスが抱えていた秘密が分かった時はそれなりに衝撃的だったんですけど、人物描写が薄いぶんあくまでそれなりでした。彼の本当の気持ちを推理していくと、アメリカに不法入国をするメキシコ人はどういった存在なのか、というところまで考えさせられます。本当に描き方次第では厚みのあるキャラクターになっていたはずなんですけどね。
逆に、田舎町で退屈しているマイクの妻や、複数の男たちと関係を持ち奔放に生きる食堂の女など、女性キャラのエピソードはそんなにいらんかったなあという気がします。ピートやマイクと対比させる形で出しているんだと思うんですが、イマイチ関連性が薄いし、それだったら男キャラをもっとねちっこく描いた方がいいと思いますね。保安官のオッサンの描写なんてなくてもいいぐらいですから。
この映画の点数は★1です。作り方によっては本当にいい映画になっていたと思うんですけど、実際面白くないので低い点を付けざるをえないですね。ギジェルモ・アリアガも、この映画では失敗していますけど自分の色はきちんと出しているし、ハマれば「アモーレス・ペロス」のように素晴らしい作品がまた作り出せると思いますよ。トミー・リー・ジョーンズは俳優1本でいったらいいと思いますね。監督の彼については何も見るべきところがありませんでした。
ちなみにこの映画で唯一僕が気に入ったところはピートの家庭環境についてまったく触れられていないところです。ここを明らかにしていないからこそ、ピートのその後のストーリーが自分の中でふくらんでいって、いい余韻を残しますからね。
<メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 解説>
『逃亡者』や『メン・イン・ブラック』シリーズの名優、トミー・リー・ジョーンズが初監督した、魂が揺さぶられる群像劇。製作と主演も兼ねる彼を、『25時』のバリー・ペッパーや『スリング・ブレイド』のドワイト・ヨーカムら個性派俳優が支える。昔気質の老カウボーイと、罪を犯した未熟な国境警備員が、死者と共に約束の地を目指す姿が描かれている。ロードムービーとしても秀逸で、2005年カンヌ国際映画祭で見事最優秀男優賞と脚本賞に輝いた実力作。
テキサスで働くメキシコ人、メルキアデス・エストラーダ(フリオ・セサール・セディージョ)はある日銃弾に倒れる。ピート(トミー・リー・ジョーンズ)は生前の約束通り親友の遺体を、彼の故郷メキシコへ運ぼうとするが……。
オープン・ユア・アイズ
使い古されたネタだが構成が面白いので良い映画です。
監督/アレハンドロ・アメナーバル
出演/エドゥアルド・ノリエガ、ペネロペ・クルス、ナイワ・ニムリ
(1997年・スペイン)
プレーボーイの主人公セサルはハンサムなうえ金もある幸せな男でした。ある日彼はパーティで、親友が連れてきたソフィアという女性に一目ぼれします。しかし、以前彼に振られた女性ヌリアがそれを見て嫉妬し、セサルをドライブに誘い、無理心中気味の事故を引き起こします。その結果ヌリアは死に、セサルは顔にひどい傷を負ってしまいます。手術をしても顔を元に戻すことが不可能と医者に告げられたセサルは心も屈折し、ついにはソフィアや友人にも相手にされなくなり悪夢のような人生になります。しかしある日彼が目が覚めると、なぜか無理だとされていた手術が成功して自分の顔は元通りになり、ソフィアとも再び仲良くなります。
事故によって自分の顔がむちゃくちゃになり、恋人にも友人にも普通に接することができなくなって自暴自棄になるというとっかかりからこの映画はいいですよ。現実社会で生きるうえでは何だかんだ言って見た目も大切ですし、無理なく主人公に感情移入できる始まり方です。僕は主人公のように金もないしハンサムでもないので、最初は高慢ちきな彼のことが当然気に入らなかったのですが、事故が起きてからの彼は特にソフィアとの絡みなんかはあまりにも哀れで見てて切なくなってくるし、生きざまも同じ1人の人間として非常に共感できました。
そして、「夢を見る」という行為もメカニズムがよくわかっておらず非常に謎めいたものなのに、何だかんだ言って毎晩自然に見てしまう非常に親近感のあるものなので、この映画だけでなく色々な映画で格好の題材になっています。しかしその多くの映画の中でもこの映画は語り口の上手さではトップクラスだと思いますよ。ストーリーの鍵が「現実」と「夢」の境界というのはオープニングから分かることなんですが、最初っから最後まで、「あれ、今までのは夢だったのか。」の連続で、何が現実なのかよく分からないこの映画の世界にぐいぐい引き込まれていきます。
主人公の頭がおかしくなっていくんですが、こっちも先の展開が読めず見てて本当に空恐ろしくなっていきます。後半は加速度的に展開が速くなり、衝撃のラストを迎えるんですが、こんなに夢中になって見れる映画はなかなかないですよ。とにかく素晴らしい構成の映画です。僕はDVDで見たので、途中で止めて休憩したり別のことしたりできるんですけど、そういうことすら思いつかないぐらい映画の世界に入り込んでいました。
ラストはちょっと衝撃的すぎて唖然としてしまいますが、冷静になってからよく考えたら最初っから最後まで騙されていたような気もしますね。そうだとしたらネタ的には使い古されたありきたりのものであり、普通の映画でこのオチだったら僕は酷評するんですが、この映画は見せ方が上手いからラストまでむちゃくちゃ楽しめるし、オチが何であれそんなに腹は立たないですね。それにこの映画ははっきりと答えを言っているわけではないので、僕が解釈を間違えているだけかもしれないですし。
それにラストの屋上のシーンで抜けるように広がっている青い空を見ていると、主人公というか人間がすごくちっぽけに見えてきて、何が夢で何が現実とか考えるのがむなしくなってきます。ちなみにこのシーンはこの映画の中で一番印象に残っていますね。それまで暗くて退廃的な映像が続いていたのに、このシーンの青空だけは澄み渡っていて、とにかく鮮やかですから。
この映画はトム・クルーズが「バニラ・スカイ」という映画でリメイクしていますが、僕はそっちは見る気がしないですね。同じようなストーリーだったら絶対に最初に見たやつの方がインパクトがあるから良く見えますし、この映画のまさに夢うつつ状態に見える何ともいえない不思議な雰囲気はハリウッド映画では出せないような気がしますしね。
この映画の評価は★9とします。とにかく面白くて、見てる間どれだけ楽しめるかという点では文句なしなんですけど、心にいつまでも残る映画ではないような気がするので、満点は付けづらいですね。
<オープン・ユア・アイズ 解説>
第11回東京国際映画祭でグランプリに輝いたサスペンス。ある男がたどる、夢と現実が曖昧になる恐怖をサスペンスフルな展開で描く。悪夢と現実の狭間の喪失感を表現したスタイリッシュな映像、そして疾走感溢れる謎めいたストーリーが秀逸。ハンサムで自由な恋愛を楽しみ、裕福な生活を送る青年セサル。しかし彼の人生は交通事故で一変。顔は醜く変貌し、恋人からも冷たくされる。そんな中、不可能とされた手術は成功し、全ては元の幸福な生活へと戻ったかに見えたが...。
シュレック
オリジナルへの愛情が感じられないパロディはダメです。
監督/アンドリュー・アダムソン、ヴィッキー・ジェンソン
声の出演/マイク・マイヤーズ、エディ・マーフィ、
キャメロン・ディアス
(2001年・米)
森の奥の沼地で悠々自適に暮らしている緑色の大きな怪物、シュレックを主人公とした話です。彼は醜いし、汚いし、臭いし、いつも強面ぶっているけれど、本当は心は優しい怪物です。ある夜、彼の住んでいる沼地に、おとぎ話のキャラクター達が大勢押し寄せてきます。彼らはファークアード卿によって追放され、行き場がなくなってシュレックのところにやってきたそうです。気ままな独り暮らしを脅かされたくないシュレックは、ファークアード卿に掛け合いに行くことにします。
この映画の他の映画にはない個性といえば、強烈なディズニーアニメへの皮肉です。シュレックは登場するやいきなり絵本でケツを拭くし、フィオナ姫というこの映画に出てくるお姫様が歌い始めると森の小鳥は爆死します。かっこいい王子様と美しいお姫様が登場し、お姫様が森で歌い始めると小鳥がさえずり、周りで動物たちのミュージカルが始まるような典型的なディズニーアニメを茶化しているのは良く分かります。ストーリーはディズニーアニメ「美女と野獣」のまったくの逆バージョンだし、ピノキオ、白雪姫、シンデレラ、3匹の子ぶたなどの、ディズニーアニメの印象が強いキャラクターのこの映画での扱いはひどいものです。
こういうディズニーアニメへのパロディを「やってくれたな~。」と好感を持って受け止め、うんこやゲップなどの下品な表現をちゃんと笑える人なら、この映画の評価はそれなりに高いでしょうね。アメリカ人なんかはジョークが好きそうだし、向こうではかなりウケたんじゃないでしょうか。僕は下品な表現は気にしないですが、パロディには不快感を覚えましたね。
僕はパロディという表現方法自体は嫌いじゃないんですけど、この映画のように元となっている作品に対する愛情が感じられない皮肉、批判のようなパロディは嫌いなんですよ。この映画を作ったジェフリー・カッツェンバーグとかいうオッサンは、今はドリームワークスという別の会社を興したけれども昔はディズニーで働いていたみたいです。それなのにここまでディズニーをクサすということはよっぽどディズニーでイヤな目に会ったんでしょうが、そんなこと僕はどうでもいいですし、いちいちこんなイヤミな映画作らんでいいと思いますね。
ストーリー自体も特に面白くはなかったですね。ラストが全然好きじゃないんですよ。この映画のように見かけがイマイチの男が主人公だとしたら、僕はそういうヤツが頑張って美女をモノにする話の方が夢があって好きですね。シュレックは真実の愛情や友情を手に入れたんでしょうけど、そんなものはシュレックみたいなイイ奴ならば普通にのんびり生活してても手に入れられるものです。自分とは到底釣り合わない美女を手に入れる方がそりゃ難しいと思いますし、頑張って命からがらの冒険をしたんだったらそれぐらいの見返りがないと割に合わないですね。
また、この映画が人気シリーズになっている理由としてシュレックのアンチヒーローぶりが大きいと思うんですけど、僕はこいつに特に魅力は感じなかったですね。最初はどんなクセのあるヤツなんだと思っていましたが、特徴といえば自分の見かけにコンプレックスがあることと不潔なことぐらいで、行動も男らしいし性格も優しいしどこにでもいるイイ奴ですよ。まったくキャラが立っていなかったですね。まだフィオナ姫の方がキャラがしっかりしていました。ほとんどの童話では「お姫様」なんてただ守られるだけの存在で個性なんてまったくないですからね。
僕のこの映画の評価は★2です。「2」、「3」、「4」とどんどん続編が作られていってるみたいですが、もうこのシリーズは見たいとは思わないですし、たぶん見ることもないでしょう。
あと、僕はこういうアニメ映画は日本語吹き替えで見るんですけど、シュレックの声をしているダウンタウン浜田の声は、普通に浜田の声に聞こえてしまいます。これではダメですね。関西弁を使う人を持ってきたのはいいアイデアだと思うんですけどね。
<シュレック 解説>
人里離れた森の中。沼のほとりに、人の骨をすり潰しパンにして食べてしまうと怖れられる怪物がいた。怪物の名はシュレック。しかしこの怪物、本当は優しい心の持ち主。人々が怖れて近づかない森の奥でひとり気楽な毎日を送っていた。そんなある日、森におとぎ話の登場人物たちが大挙押し寄せてきた。彼らは、国を支配するファークアード卿によって無益な存在として追放されてしまったのだ。困ったシュレックは彼らを引き取るようファークアード卿に掛け合い、代わりに囚われの身のフィオナ姫を助け出すことを約束するのだが……。
ミッション:インポッシブル
あまりにもトム・クルーズがいいとこ取りしすぎています。
監督/ブライアン・デ・パルマ
出演/トム・クルーズ、ジョン・ヴォイト、エマニュエル・ベアール
(1996年・米)
スパイ組織IMFのリーダーであるジム・フェルプスの元に指令が入ります。その任務とは、東欧に潜入しているCIA情報員の名前が記されたリストを盗んだ大使館員と情報の買い手を捕らえることです。イーサン・ハントをはじめとしたIMFのメンバーはその任務にとりかかったのですが、何者かの裏切りによって彼らの動きは筒抜けになっていて、イーサン以外のメンバーは次々に殺されていきます。おまけに、イーサン自身に裏切り者の容疑がかけられてしまいます。アジトに戻ったイーサンは、自分と同じく難を逃れたクレアと合流し、本当の裏切り者を捜すために新たな作戦を開始します。
「ターミネーター」を見た時も感じたことなんですが、こんな超有名な作品を今さら見るなんて、つくづく自分はアクション映画は好きじゃないんだなあと思いますね。たしか「ターミネーター」の評価が★6だったと思います。この映画は「ターミネーター」よりも面白くなかったので、★4ぐらいにしときます。両方とも世間の評価に比べてかなり低いと思いますね。
僕はトム・クルーズは嫌いではないんですが、この映画ではここまで1人でいいとこ取りはしてほしくなかったですね。いいとこ取りが彼の持ち味なのはわかっているんですが、スパイ組織の話なんですから、それぞれに特殊な技能を持った個性のあるスパイ達が、力を合わせて難しい任務に取り組む話の方が絶対に面白いと思うんですけどね。
「ターミネーター」もシュワルツェネッガーがかなりおいしい役をしているんですが、それはジェームズ・キャメロン監督が彼の良さを引き出したからであって、この映画はトム・クルーズがプロデューサーをしている作品だから、監督もトム・クルーズが決められるぐらいの権限があるでしょう。そんな映画で自分でおいしいところを全部持っていくというのはあまりにも謙虚さがなさすぎですよ。開始早々他のメンバーを全滅させるという強引なやり口ですからね。そのぶんこの映画は「ターミネーター」に比べて★が2つも下がりました。途中から一応ジャン・レノら2名ほど他の仲間が出てきますが、彼らにもおいしい所はまったくありません。
とは言っても、つまらない映画ではないです。見せ場が上手い具合に散らばせてある飽きさせない作りだし、全体のテンポも良いです。しかしブライアン・デ・パルマが監督だし、「誰が真犯人なんだ?」というサスペンス要素も僕は期待していたので、そのへんはちょっと期待外れでしたね。いやサスペンス要素がないわけじゃないんです。ストーリーも一応二転三転しますし、どんでん返しのようなものもあるし。だけどどこか薄っぺらく感じて、物足りないです。やはりこの映画は派手なアクションシーンが売りの娯楽大作です。何も期待せずに見ればそれなりに楽しめると思いますよ。
ただ、この映画は公開してから10年以上経っているから、今見たらアクションシーンは派手どころかむしろショボいんですけどね。しかし今でいう「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズのようにこの映画も公開時はかなり話題になっていたし、その時代では最先端であった撮影技術を使っていたんでしょう。旬の時期にちゃんと見ていなかった僕が悪いと思います。
しかし、イーサンがCIAに侵入した際、床の高感度のセンサーに探知されないように彼が宙吊りの状態でコンピューターを操作し、データを盗むシーンなんかは緊迫感があって良かったですよ。床のセンサーはコップについた水滴が落ちても見逃さないぐらいスキがないですからね。上で支えているジャン・レノ演じるクリーガーがナイフを落としかけた時は声が出そうになりましたよ。
この映画はそのシーンと、最後の電車の上でのアクションシーンが見どころですね。その2つのシーンが強く印象に残っています。宙吊りのシーンもこんなに長時間クリーガー1人でイーサンを支えれるわけないだろと思いましたが、最後のアクションシーンはさらに無理がある展開になっています。しかし、迫力はありましたよ。何せヘリコプターがトンネルに入っていきますから。
<ミッション:インポッシブル 解説>
往年の人気TVシリーズ「スパイ大作戦」の映画化。東欧で展開されたスパイ組織IMFの作戦は情報漏れのために失敗に終わる。多くの仲間を失ったイーサンは、これがIMF内の裏切者を見つけ出すための作戦だと言うことを知るが、その疑いは自分にかかっていた。真実を暴くために、死んだリーダー、ジム・フェルプスの妻クレアと連絡を取るイーサン。彼は、元CIAのクリーガーと天才ハッカーのルーサーを新たなメンバーに加え、大胆不敵にもCIA本部への潜入を試みる……。
空中庭園
これは女性向きの映画なんでしょうね。
監督/豊田利晃
出演/小泉今日子、鈴木杏、板尾創路
(2005年・日)
「家族の中では隠し事をしない」というのは、幸せな家庭を守るために絵里子が決めた京橋家のルールです。しかし、現実には家族はそれぞれ秘密を持っています。夫の貴史は麻子とミーナという二人の愛人がおり、浮気三昧の生活です。いつも明るい娘のマナは学校でイジメられており、ショッピングモールでいつもブラブラして学校はサボリがちです。いつも無気力な息子のコウも学校にまともに行っておらず、子どもは2人とも不登校の状態です。そして絵里子自身も自分の過去や母親との関係にトラウマがあり、それを解消できないでいました。
そんなに出来は悪い映画じゃないと思うんですけど、イマイチ話に入っていけなかったですね。ストーリーとしては小泉今日子演じる絵里子が、勝手に家族間の変なルールを作ってその結果自分も他人も傷つけてあげくに1人でキレてるだけの映画です。
絵里子以外の家族は僕から見ると本当にまともですからね。当然のことですがそれぞれに秘密を抱えているんですけど、だからといって絵里子のことを嫌っているわけじゃないんです。バスに乗っているシーンで貴史がマナに、「仕事を必死にがんばって、団地の家族の生活を必死に守る。ちゃんと毎日家にも帰る。これは愛がなければ出来ないだろ。」みたいなことを言うんです。自分の子ども相手だからもちろんきれいごとを言ってるだけかもしれないんですが、僕は額面通りに受け止め、ちょっと感動してしまいましたよ。この映画で唯一共感できたシーンです。絵里子はこの旦那とのキスすら拒否し、5年もセックスレスが続いているんですよ。そりゃ貴史が浮気するのもしょうがないですよ。
絵里子にとって家族を作るということはすべて計算であり、こいつは自分の生理周期を把握したうえで計画的に貴史をホテルに誘うようなたちの悪い女ですからね。人に対する愛とか情とかそういうのに欠けすぎていますよ。自分が他人を愛することができないから、他人が自分を愛するということも想像できなくて、とにかく他人に裏切られたくないということだけを考えて変なルールを作るんです。
そしてそのルールを実はみんな破っていることに気づいているくせに、表面上だけでもルールを守ることにこだわっているんです。家族全員がそのルールをいいことだと思っているなら仕方ないかなと思うんですが、この映画では絵里子だけがしょうもない「学芸会」にこだわっていて、他の家族は彼女に仕方なく合わせているだけですからね。僕としても、「この女は頭おかしいなあ。」という感想しかありませんよ。
「母親に憎まれてると思っている。」というのがこいつの人を信じない性格を構成する要因になっているようですが、全然納得できないですよ。僕の母親は僕には「家におったらうっとうしいから大学からはずっと1人暮らししろ、遠い大学行け。」と言いますし、妹には「○○(僕の名前)に比べてお前は頭が悪すぎる。産むの1人でやめときゃ良かった。」とか普通に言いますからね。物心ついた時から今まで母親に愛されているなんて思ったことないですよ。かといって憎んだりもしないですし。親なんてある程度の年齢まで食わせてくれて、虐待さえされなければ、それだけで十分だと思いますけどね。
まあ、女性が見たら、少しは絵里子の気持ちも分かるのかもしれないですけど、僕にはまったく理解できないです。この映画は完全に絵里子中心に描かれた映画なので、見てて面白くはなかったですね。点数はちょっと厳しいですが★1にします。
出演陣はみんな良かったんですけどね。主演の小泉今日子ももちろん頑張っていたんですが、僕が一番いいなと思ったのは板尾ですかね。僕はお笑い芸人など異業種の人が俳優業をするのは好きじゃないんですが、この映画の板尾はふわふわした感じなのに存在感があるという、この人独特の味を出していました。他の映画に出てるのを見ても普通に演技が上手いし、役者としての資質があると思いますよ。
<空中庭園 解説>
『青い春』の豊田利晃監督が、角田光代の第3回婦人公論文芸賞受賞作「空中庭園」を映画化したヒューマンドラマ。主演は『風花』以来4年ぶりの主演映画への復帰となる小泉今日子。1つの家族を取り巻く人間模様を通し、「家族愛」という普遍的なテーマを描いた作品。大楠道代とソニンのガチンコ勝負もさることながら、小泉今日子の絶叫シーンは必見。
京橋家の娘・マナ(鈴木杏)は学校をさぼり気味で、弟・コウ(広田雅裕)も学校に行ってない様子。そして父・貴史(板尾創路)は浮気に忙しく、妻・絵里子(小泉今日子)は、母・さと子(大楠道代)との関係に悩んでいた