どっちかといえば松本人志が好きな人。
スケルトン・キー
こんなにいい映画が劇場未公開なのはかわいそうですね
監督/イアン・ソフトリー
出演/ケイト・ハドソン、ジーナ・ローランズ、ジョン・ハート
(2005年・米)
脳梗塞で倒れ全く身動きのできないベンとその妻のヴァイオレットが暮らす家に、主人公のキャロラインは住み込みの看護師として働くことになりました。しかし彼女は、昔その家で起こった惨劇や、古来から伝わる呪術「フードゥー」など、屋敷の恐ろしい秘密を目の当たりにしていきます。
ビデオ屋で借りるのがなくて適当に目についたから借りただけですし、日本では劇場未公開だったようなので、はっきり言ってまったく期待していなかったのですが、この映画は面白いです。登場人物も少ないし、話もほとんど屋敷の中で進むので、あんまり流行らなそうな地味な映画ですが、こんなにいい映画を劇場で公開しないというのはあまりにもかわいそうですね。実際に見たら、この映画は劇場でやっている大半の映画より優れているのは誰でも分かるんですけどね。ホラー映画としても、サスペンス映画としても、ケチのつけどころがないぐらいいい出来の作品です。
この映画は、急に大きな音を出したり、不意に何かが出てきたりなど、とにかくびっくりさせて怖がらせようとする出来の悪いホラー映画ではありません。それどころか「この映画は怖いよ」というアピールが終盤までほとんどないのです。しかし、登場人物の行動や屋敷の状況は見てて違和感のようなものは感じさせます。全身麻痺のために自分の感情を主人公に伝えることのできないベンの様子は、よけいこちらのもやもや感を増幅させます。
つまりラストまではけっこう淡々としていて面白くもないし怖くもないんですが、とにかくこの映画はラストが秀逸です。登場人物が少ないので誰が悪玉かはわかるし、描写が丁寧なのでだいたいの落としどころも読めるんですが、その読みのさらに上をいくラストです。僕はそれまでの登場人物達のセリフや行動を約30秒間冷静に思い返し、やっとこのラストの真の意味がわかりました。本当に救いのない恐ろしいラストです。それまでに散りばめられていた数々の伏線の意味が理解でき、隠されていた一部の登場人物達の悪意や不気味さに戦慄させられるのです。
それまでのストーリー描写もかなり丁寧で、ラストもけっしてとっぴなものではないのに、予想はできないという、本当にサスペンスと名のつく映画はそれなりに見てきた僕でも唸らされるぐらいの緻密で奥の深い脚本です。主人公がヴァイオレットの顧問弁護士のルークと2人っきりで部屋にいた所に、突然ヴァイオレットが入って来て嫉妬するような表情をしてたので、ほんとにこいつは年がいもなくバカなババアだなあと思っていましたが、バカは僕でした。
映画全体に漂う雰囲気の作り方もうまいです。屋敷の古めかしい陰気な感じはもちろんのこと、奴隷制度やフードゥーなどの小道具がよけい映画を不気味なものにしています。主人公が友達と会っている時や弁護士の事務所の様子なんかがたまに映るのですが、それがこの映画の時代設定はあくまで現代だということをこちらに分からせて、よけい怖いです。そういえば主人公の友達は黒人です。これも初めはやっぱり違和感があるんですがちゃんと意味があります。
役者陣も頑張っています。ジーナ・ローランズの貫禄の演技はもちろんのこと、しょうもない映画にばっかり出ているという印象しかなかった主役のケイト・ハドソンも普通に良かったです。しかし1番印象に残ったのは弁護士ルークを演じていたピーター・サースガードという人ですね。僕はこの人あんまりよく知らなかったんですが、気持ち良くなるほどの陰湿な演技をしておりとても良かったです。
この映画の点数は★8ですかね。本当にいい映画なんですが、あえて難を言うならまとまりすぎていて、スケールが小さく見えるんですね。だから微妙な点数になってしまいました。いやもちろん同じぐらいの時期にきちんと日本の劇場でも公開され、同じようなジャンルで、同じぐらいスケールが小さい「ヴィレッジ」とかいうなまはげの映画よりはこの映画の方がよっぽどいいですよ。
<スケルトン・キー 解説>
老夫婦の住む屋敷に住み込みの看護師として働くことになった女性が、徐々に明らかになる屋敷の秘密を目の当たりにし、古呪術の恐怖に襲われるホラー・サスペンス。
パッチギ!
泥臭い若者の青春を描いた作品としてはよく出来ている
監督/井筒和幸
出演/塩谷瞬、高岡蒼佑、沢尻エリカ
(2004年・日)
京都府立東高校の高校生である松山康介は、朝鮮高校に通うフルートが得意なキョンジャという女子高生に一目ぼれしてしまいます。しかし彼女の兄は朝鮮高校の番長のアンソンで、彼は康介の通う東高校の空手部と激しく対立していました。しかし康介はキョンジャと親しくなりたい一心で、ギターの弾き語りで「イムジン河」という在日朝鮮人が故郷に思いを馳せた歌を練習し始めます。
この映画は在日問題をテーマの1つとして扱っていますが、そのへんの描き方はまったくダメですね。在日の人が日本人を恨んでいるというエピソードはふんだんに盛り込まれているので、日本人と在日の人の間にわだかまりがあることだけはよくわかりますが、だからどうなんでしょうか。僕はこの映画を見ても日本人と朝鮮人の間にはやっぱり壁があるんだなあとしか思いませんでした。まあ大阪育ちで在日の奴なんて周りにいっぱいいた僕は映画を見る前からそんなことぐらい分かっていますけど。
まさか今さら、在日の人々を朝鮮半島から強制的に連れてきたのは日本人であるし、そうして連れてきた人たちを差別してきたのも日本人であるから、在日の人々の過去は知っておかないとけないし、彼らに対して申しわけない気持ちでいなければならないよとかいう小学生の道徳の授業レベルのことをこの監督は言いたいのでしょうか。僕が求めている答えはそんな小学生レベルのくだらないことではなくて、日本とか朝鮮とか在日とかそういう枠を飛び越えて、人間が自分自身と向き合い他人とわかり合うにはどうすればいいのか、ということなんです。
まあ、恋の力は民族問題という障壁すら打ち破るというかなり単純で強引な答えはこの映画は呈示していますし、難しいことを考えず「ロミオとジュリエット」のハッピーエンドバージョンとして見たら、出来は決して悪くない映画だと思いますよ。はっきり言って面白かったし、僕のこの映画の評価も★8とかなり高いですし。
在日の人々にやり場のない感情をぶつけられ、なすすべもなくその場を飛び出し、橋の上でギターを壊したりして大暴れする康介を、バックにフォーククルセイダーズの「悲しくてやりきれない」を流しながら映すシーンなんて最高に良かったですよ。この監督は郷愁を感じさせる泥臭い青春群像劇を撮るのがなんて上手いんだろうと感心しましたね。
ケンカのシーンにも強烈な若者のエネルギーを感じて、あふれんばかりの清々しさ感じます。だからこの監督は民族とか在日とか小難しいテーマなんて最初っから無視して、「岸和田少年愚連隊」みたいなベタな青春活劇ばっかり作ってればいいんですよ。そっちの才能はあるんだし、変に高尚なテーマを扱ってもどうせしょうもない答えしか出せないんですから。
もし沢尻エリカみたいな可愛い子と付き合えるんだったら、僕だってそりゃ朝鮮語や朝鮮民謡も勉強しますし、彼女の家族にもちょっとはおべっかを使いますよ。もちろん結婚となるといろいろ障害があるからしんどいけど、とりあえず付き合うというのが一番の理想ですからね。この映画の主人公が「あんた朝鮮人になれる?」というキョンジャの先を見据えた質問にたじろいでいたのは、おそらく僕と同じような考えを持っていたからでしょう。
だから彼がキョンジャと付き合えたからといって、僕は個人の思いが民族の垣根を越えるとはこれっぽっちも思いませんし、在日問題に関してのこの映画の答えにはまったく納得していません。キョンジャの美貌が民族の垣根を越えたという答えの方がまだ納得できたですね。それぐらいこの映画の沢尻エリカは可愛かったですし。僕は何やかんだ言ってもこの人の演技を見るのは初めてなんですが、とても華のある女優だなと思いました。
<パッチギ! 解説>
『ゲロッパ!』『岸和田少年愚連隊』の井筒和幸監督の最新作。主人公の康介を演じるのは監督に大抜擢を受けた塩谷瞬。朝鮮高校の番長役に『青い春』の高岡蒼佑。伝説的名曲「イムジン河」と複数のエピソードがシンクロするクライマックスに胸が熱くなる。
1968年、京都。高校2年生の康介(塩谷瞬)は、担任からの指示で親友の紀男(小出恵介)と敵対する朝鮮高校に親善サッカーの試合を申し込みに行く。そこで康介は音楽室でフルートを吹くキョンジャ(沢尻エリカ)に一目惚れするが……。
県庁の星
撮影に使っている建物はおそらく香川県庁でしょう
監督/西谷弘
出演/織田裕二、柴咲コウ、佐々木蔵之介
(2006年・日)
野村聡はK県庁のキャリア公務員です。プライドも出世願望も高い彼は、県事業の目玉である民間企業との人事交流研修のメンバーに選ばれ得意満面です。恋人は地元の大手建設会社の令嬢で、まさに人生順風満帆でした。しかし、いざ配属された研修先は客もほとんどおらず店員のモチベーションも低いとんでもないスーパーで、自分の教育係になったのは自分より年下のパート店員でした。
いきなりですが、僕はある県の職員です。なのでこの映画の行政組織や役人の描き方が非常にステレオタイプで、この監督が県庁という場所とそこで働く職員についてまったく知識がなく、かなり誤解しているのはすごく良く分かりました。しかしスーパーの方も、「こんなスーパーとっくの昔につぶれてるやろ。」というぐらいかなりむちゃくちゃに描かれています。県庁もスーパーも同じぐらい悪く描かれていて公平さという点では問題ないですし、あえてこれぐらい過剰な表現にした方が映画としてわかりやすくていいのかなとも思いますから、「全然違う!こんなんのわけないやろ!」とかイラついたりせず普通に見ることができました。
それに「官」を無条件否定するようなストーリーでもありませんしね。それだったら途中で見るの止めたろとも思ってたんですけど。僕の勤める県でも民間企業との交流事業はありますが、向こうはハナから官に学ぼうという気なんかまったくなくて、やって来る職員のこともバカにしているから、派遣された職員は派遣期間の間延々と単純作業をやらされるのがほとんどです。向こうにとっては、給料は県が払うんだから、すぐに戦力になる単純労働をやらせたら少しは得をするなということなんでしょう。しかしこの映画はある意味理想論である、官が民に学ぶところがあるのと同じように、民が官に学ぶべきところもあるという、公務員が見てもサラリーマンが見ても気を悪くしない話の流れになっています。これでかなり僕の好感度は上がりましたよ。官でも民でも、1人1人が常に自分の仕事に問題意識を持つことが一番大事なことですからね。
ただ、公平さという点でオンブズマンの描き方だけはムカつきましたけどね。県庁やスーパーは極端に悪く描かれているのに、こいつらは非常に良く描かれています。この映画でいわゆる悪役的な存在の人物が、「彼らは何の責任も持たず、批判を生きがいとしている。」とか言うんですが、まったくもってその通りだと思いますけどね。このセリフを仕事に対する意識が変わった後の織田裕二が言ってくれたら良かったんですけどね。
あと、この映画は野村とスーパーの人たちとの心の交流と彼らが力を合わせてのスーパー改革劇がメインなんだから、野村とスーパーの人たちとの別れのシーンで終わるのがどう考えても一番感動すると思うんですけどね。この映画はその後野村が県庁の方を改革しようとする話になって、これも話としては全然悪くないんだけれど、映画全体として見たらこの部分はいかにもとってつけたような感じになっています。僕の気分の盛り上がりはスーパーの改革が終わったところがピークだし、もうその後は集中力が切れてしまっていたから、しまいには話も分からんようになって一緒に見てた嫁はんに話の流れを聞いてたぐらいですから。
ですがまあ、この映画は何だかんだ言って面白かったですよ。公務員の僕がここまで嫌な思いをせずに楽しめるとは想像していませんでした。評価は★8ぐらいはあるんじゃないでしょうかね。
ちなみにこの映画は先日見た「有頂天ホテル」に非常に印象が似ています。娯楽作品としてそれなりに楽しめるところ、フジテレビ色が強い軽いノリの作品であるところ、設定が極端でリアリティがないところ、「有頂天ホテル」は舞台っぽく「県庁の星」はTVドラマっぽい作りでどちらも映画を見てる感じがしないところ、などですね。なのに「県庁の星」の方が評価が1点高い理由は、主要な役者が全員安心して見ていられる演技をしているところです。主要な役者の中では比較的若い柴咲コウも、こういう気が強くて飾り気のない女性を演じさせたら一流ですしね。
どうでもいいことなんですが、この映画で県庁として使われている建物は、いかにも田舎にそびえ立つ県庁という感じだし、役所の建物の雰囲気がプンプンしているので、本当にどこかの県の庁舎を撮影に使っているんでしょう。僕の働く県も田舎なので、県庁舎はこんな感じにそびえ立っていますから良く分かります。K県という設定ですから、神奈川県庁か高知県庁か香川県庁なんでしょうが、神奈川県庁はおそらく都会にあるでしょうから違いますし、高知県庁は僕が実際に行ったことがあるので違うと分かりますし、おそらく香川県庁なんでしょうね。
<県庁の星 解説>
「白い巨塔」など数々のヒットTVドラマを手掛けてきた西谷弘の劇場映画デビュー作は、キャリア官僚とパート店員が衝突を繰り返しながらも協力して三流スーパーの改革に乗り出す人間ドラマ。出世欲丸出しの官僚に織田裕二、彼の教育係で現場主義の店員に柴咲コウがふんし、コミカルな掛け合いを披露する。『踊る大捜査線』シリーズではノンキャリアの熱血刑事を演じた織田が、融通の利かない公務員を好演して新境地を開拓している。
K県庁のキャリア公務員・野村聡(織田裕二)は、ある時、民間企業との人事交流研修のメンバーに選ばれるが、研修先は客もまばらなスーパー。しかも野村の教育係・二宮あき(柴咲コウ)は、年下のパート店員だった。
イン・ザ・プール
主人公の伊良部医師は最高の名医だと思いました。
監督/三木聡
出演/松尾スズキ、オダギリジョー、市川実和子
(2005年・日)
この映画は、田辺誠一が演じるプールへの依存症があるエリートサラリーマン、市川美和子が演じる確認行為についての強迫性障害のフリーライター、オダギリジョーが演じる持続勃起症の営業マン、という3人の患者が、松尾スズキ演じるかなりとぼけた精神科医伊良部のもとへやってきて、ふざけた治療を受けるハメになってしまう話です。
以前に「亀は意外と速く泳ぐ」という作品を見てなかなか良かったので、同じ監督のこの映画もビデオ屋で借りてみたのですが、こちらも同じぐらい良かったですね。この映画は原作があるらしく、そっちは僕は読んでいないんですが、ここまでトボけた作品ではないと思います。「亀は意外と速く泳ぐ」もそうですが、体から力が抜けてしまうぐらいのくだらなさ、そして不思議な温かさと見た後の爽快感は間違いなくこの監督の持ち味ですし、この映画も監督の持ち味が存分に発揮された作品です。
まず精神病を題材にしているところがあっぱれですね。ちょっと世間でタブー視されているものですし、そういうテーマを扱った本やドラマやドキュメンタリーで軽いノリのものを僕は今まで見たことありません。しかし、この映画の主人公である伊良部医師は、かなり無責任でいいかげんなキャラです。3人の患者の持つ心の病に対して決して深刻になることなく、明るく軽いノリで治療を行います。治療方法もふざけているようにしか見えません。
しかし僕は、伊良部がただのバカとは思えませんね。それどころか、すべて計算で動いている最高の名医なんじゃないかと思いました。一般的に考えて精神科に行くというのはけっこう勇気がいることですが、実際に勇気をふりしぼって行ったらこんないいかげんなオッサンが出てきて、自分の病状についてもふざけた受け止め方しかしてくれないんです。患者は怒るというよりも、脱力感でいっぱいになると思いますよ。そうやって患者をリラックスさせることこそが伊良部の狙いなんでしょう。また、ユーモアたっぷりの治療も、このオッサンが患者の張り詰めた気持ちを解きほぐすことを第一に考えているからだと思います。
これはただの僕の独りよがりの仮説ですが、けっこう当たっていると思いますよ。何だかんだ言って3人の患者が全員快方に向かっているのが何よりの証拠です。ストレスと笑いに深い関係があるのも生物学的に当たり前のことですしね。
まあ僕の仮説はともかく、この映画には、普通じゃないなんていう悩みは誰もが何かしら抱えていることであり、そんなこと特に深刻にとらえる必要もないし、楽しく生きたらいいじゃないか。それに心の病気なんて、ふとしたくだらないことで治ったりしちゃう軽いものなんだよ、という前向きなメッセージがあります。これは現代のストレス社会にとってはかなり重要なメッセージだと思いますよ。
僕のこの映画の評価は★8です。この映画は、随所にちりばめられている笑いは「亀は意外と速く泳ぐ」と似たようなもので相変わらずくだらないし、構成もかなり無造作で1本の映画としてのまとまりもないし、テンポも全体にまったりしていて緩急も盛り上がりもないし、賞を獲ったり後世に残る名作でないのは確かですが、僕は好きですね。精神病棟で看護師として勤める僕の妹もこの映画は絶賛していましたから、ただの軽いノリだけの映画ではないとは思いますよ。
ちなみにラストシーンは映像的にもきれいですしインパクトもありますし、かなりいい感じですね。映像的にいいと思ったのはこのシーンだけですが。
<イン・ザ・プール 解説>
奥田英朗が直木賞を受賞した人気小説「空中ブランコ」の主人公、精神科医の伊良部が大活躍する「イン・ザ・プール」を三木聡監督が映画化。主演は松尾スズキ、共演はオダギリジョー、市川実和子、田辺誠一。原作のテイストをそのままに随所に笑いが散りばめられたエンターテイメント・ムービー。
中堅メーカーに勤務する営業マン・田口(オダギリジョー)は、ある日突然、継続性勃起症になってしまう。一方、ルポライターの岩村(市川実和子)は家のガスの元栓を閉めたかということから始まり、確認行為の慣習化による強迫神経症になる。そして田口と岩村は伊良部総合病院の精神科に通うはめになり……。
ジョー・ブラックをよろしく
ベタなラブストーリーですが、意外に面白い。
監督/マーティン・ブレスト
出演/ブラッド・ピット、アンソニー・ホプキンス、クレア・フォーラニ
(1998年・米)
大富豪パリッシュのもとに、ジョー・ブラックと名乗る客が現れます。彼は死期の近いパリッシュを迎えに来た死神でした。しかしジョーは人間社会に興味を持ち、パリッシュの家にしばらく居座ることになりました。そしてその夜、ジョーを交えて家族で食事をしている時に、パリッシュの娘のスーザンが帰って来ます。彼女は食卓にいるジョーを見て驚きました。なぜなら彼は、スーザンがコーヒーショップでひょんなことから出会い、お互いに惹かれ合いながらも別れてしまった男性だったからです。その男性はスーザンと別れた直後に車に轢かれて死んでしまったのですが、死神がその男の体を借りて地上に降りてきたのです。
この映画は3時間という膨大な時間のわりに、内容はよくあるラブストーリーです。パリッシュの娘のどう見ても美女であるスーザンと、あのブラピが演じていてこれまたどう見ても美男子の死神が、恋に落ちるさまを描いたストーリーです。ラストはベタですし、それまでの展開もご都合主義そのものです。この映画の脚本はひねりがないだけでなく、全体的に雑な感じがしますしね。
だから今までの人生で恋に恋焦がれ恋に泣いてきて、もう恋に恋することは絶対にないであろう既婚の30の僕が見たら絶対につまらないはずなんですけど、これが意外に面白かったんです。3時間という時間を長いとちょっとしか思わせない見てて心地良い映画になっています。
この映画では死神のジョー・ブラックが余命わずかのパリッシュのお迎えに来ているので、もちろん最後はふたりで死後の世界に行くことになるのですが、その時にジョーは「去りがたい。」と言うんです。それを聞いたパリッシュの答えがいいんですよ。「それが、生きるということだ。」というセリフです。幸せに生きている人にとっては当たり前のことだし、死神に対するイヤミにも聞こえるんですけど、「パリッシュかっこいいやん。」とちょっと感動してしまいましたね。このパリッシュを演じたアンソニー・ホプキンスもすごくいい感じの演技をするんですよ。もちろんこの人は見たこともあるし、演技が上手なのはすでに知っているんですけど、あらためていい俳優だなと思いました。
死神を演じているのはブラピですが、彼は演技はそんなに上手ではないと思うけども、この映画の死神は彼のルックスだからこそ出来る役だと思いますね。死神ジョー・ブラックは人間界のことをよく知らないので、いつもパリッシュの横でぼーっとつっ立っているのですが、これは僕のようなブサイクな男では絶対に格好がつきません。ただの間の抜けたヤツです。ブラピがやるからこそ、どこか愛らしい感じになるんです。また、ジョー・ブラックは初めてピーナッツバターを口にして、そのあまりの美味しさにスプーンをくわえっぱなしでいるんですが、これこそ僕がやったら本当にヤバいです。ブラピだからこそ可愛らしいし、品も悪くないんです。だから、役に合っているという点で、ブラッド・ピットという俳優もこの映画になくてはならないものだと思います。
スーザンの姉夫婦を演じた2人も、スーザンを演じたクレア・フォーラニ も、なかなか良かったですね。スーザンなんかは考えようによってはただの惚れやすい尻軽女なのに、そう見えないのは、演じたクレア・フォーラニの主張しすぎない抑えた演技のおかげだと思います。映画全体に漂うゴージャスな雰囲気と俳優陣の達者な演技が、この映画を安っぽい昼メロに見えないようにしていると思いますね。この映画の雰囲気作りは徹底しています。死神とスーザンがプールサイドで気分が盛り上がってイチャつきながら相手の服を脱がしはじめたシーンでも、いざセックスする時は場面が変わって2人がいつのまにか豪華なベッドの上にいますからね。
この映画の評価は★8ぐらいです。作品としてのクォリティは★8をつけるほど高くないと思うんですけど、優しい気持ちになることのできる、見て良かったなあと思える映画です。
どうでもいいことですが、もし僕が監督だったら、死神の恋する相手は絶対にスーザンの姉のアリスンにしますけどね。この映画の登場人物の中で僕の一番のお気に入りはアリスンです。彼女は父親に対するわだかまりや可愛い妹に対するコンプレックスを持っているんですが、親孝行はしますし妹をいじめたりもしないですし、けなげにがんばって生きているいい人ですから。それに死神は人間の持つ性欲とか本能とかを超越した存在だろうから、見かけとかじゃないアリスンの人間的な魅力に気づくはずでしょう。アリスンはすでに結婚しているのですが、設定を変えればすむ話ですし。
<ジョー・ブラックをよろしく 解説>
ブラッド・ピットが地上に降り立ち人間の女性との恋に落ちる死神に扮したロマンティックなファンタジー。事故死した青年の姿を借りて、一人の死神がマンハッタンに現れた。ジョー・ブラックと名乗るその人物は大富豪パリッシュの元を訪れる。彼の死期が近いためであった。だがパリッシュが天命を全うするまでにはまだ少しの時間が残されている。死神ことジョー・ブラックはそれまでの短い間を休暇とし、パリッシュの案内で人間界の見学を始めた。しかしパリッシュの娘スーザンはジョーの姿に驚く。彼の姿は先日出会った魅力的な男性その人であったのだ。そしてジョーもスーザンの好意を気にかけるようになっていく……。